会津ビールも、会津麦酒も、いまは現存する案内として受け取ることはできません。そのことを曖昧にしたいわけではなく、むしろ静かに受け止めておきたいと思っています。
ただ、不在はいつも空白だけを残すわけではありません。そこにあった名前は、誰かの記憶の中で少し形を変えながら残ります。飲んだことのある人、見かけたことのある人、たまたまページを開いたことのある人。その断片は、消えきらずに残っていきます。
空のグラスには、中身がありません。けれど、何もなかったわけではないことが、むしろよく伝わります。卓の上に残る水滴や輪の跡のように、不在は存在の証拠でもあるのだと思います。
このページは、なくなったことを強調するためではなく、なくなったあとに何が残るのかを見つめるための場所です。記録よりも静かに、説明よりも近く。そういう距離で受け止めたかったのです。